2011年の入社以来、不動産管理会社の中枢部署・管理部を皮切りに、営業部や企業主導型保育事業の立ち上げを経験。着実なキャリアを重ねてきた田上 恵理。しかし、産休取得後、未経験だった人事総務業務を一任されることで、その道のりは一変しました。ライフステージとともに変化してきた彼女の働き方、心持ちに迫ります。
思う存分仕事ができる環境を求めて、不動産業界へ
以前から「とにかく働くことが大好きだった」という田上。大学時代は、結婚式場から飲食店のアルバイト、テーマパークでのインターンなど、あらゆる仕事にチャレンジしました。就職活動時は「思う存分仕事ができる環境」かどうかが会社選びのポイント。当初は旅行業を志望していたといいます。
田上「しかし、2010年当時は就職氷河期の真っ只中。100社以上の企業や第一志望業界である大手旅行代理店にチャレンジしましたが、書類選考すら通らない状況でした。それを事前に分かってはいたものの、モチベーションが続かなくなり、活動をやめてしまった時期もあって。
アルバイト先の契約社員になる選択肢もあったんですが、『学生にはできない仕事がしたい』と考え直して一念発起。4年生の10月頃から「実家から通える不動産会社」に的を絞って活動を再開した時に、川崎市内にあるエヌアセットを見つけて。すぐに会社説明会の参加を申し込みました」
そして迎えた説明会当日。田上は「一生忘れられない」光景を目にします。代表の宮川 恒雄が開始までの間、会場をまわりながら学生に名刺を渡していたのです。
田上「驚きました。私が知る限り、代表自らが登壇する会社説明会はほとんどなかったですし、さらには、一人ひとりに名刺を渡しているなんて。日ごろから従業員を大切にしている人なんだろうなと想像しました。
その後、詳しい説明を聞いて『創業2年目だし、若手がバリバリと活躍できそう』だと感じ、受けてみることにして。相性が良かったのか1カ月後には晴れて内定をもらうことができました」
2011年4月。入社した田上が配属されたのは、不動産管理会社の中枢である賃貸物件の管理業務でした。思い描いていた環境で“達成感をもって働ける”。田上は希望を胸に、社会人としてのスタートを切りました。
管理から営業まで、不動産に関わる幅広い業務を経験。自信をつけてきた
入居者・物件双方の管理をきめ細やかに行いながら、不動産オーナーとの信頼関係を長期スパンで構築していく――賃貸物件の管理業務の大半は、経験がモノを言う仕事。若手社員は、特に“想像力をフル回転させて踏ん張る”ことを求められます。
田上「実家暮らしで、一度も部屋を借りたこともない。そんな私が、何年も何十年も物件を所有しているオーナーさんに対し、募集方法や修繕について提案をする。今振り返ってみても、何とも言えないあの苦しさがよみがえってきます。
とはいえ、指導社員がとても優秀な人で、私をお客さん扱いすることなく、バシバシと厳しく教育してくれたので、何とか乗り切ることができました。彼女がいなければ、きっと今の私はなかったでしょうね」
しかし、2年ほど経った頃「営業経験のないまま、オーナー・入居者双方に対して本質的な管理サービスを行うのはかなり難しい」ことを、身をもって感じた田上。上司に相談し、営業への異動が決まります。
田上「賃貸営業チームに配属されて、最初の3年は店舗の窓口に立ち、接客を行いました。そこで役に立ったのはやはり、管理部での経験です。例えば、お客さまに対して部屋の設備について詳細に説明できたり、逆に管理担当者には『内見時にこんな感想があった』と素早く伝えたり。営業したその先がクリアに見えているからこそ、率先していろいろ動けて、成果を生み出すこともできて。自信につながりました」
その後、既存オーナーとの関係構築を目的とする営業や売買仲介、他の不動産会社からの申し込み案件の対応など、幅広い領域の営業業務を経験した田上。その間に結婚をし、ライフステージにも大きな変化がありました。
2017年3月。本業と並行して動き出したのが、企業主導型保育事業の立ち上げです。これは田上と堀 杏菜、仲の良い同期社員ふたりが起案し、実施となった一大プロジェクト。準備のすべてが彼女たちに託されました。
「会社に居場所はもうない?」激務のあとの育休中にはじめて襲った不安感
田上の妊娠が分かったのは、企業主導型保育事業が始動した矢先のことでした。
田上「保育園開園を目指していた理由は、『同僚を含む出産後の女性が職場復帰できる環境をつくりたい』という堀と私の思いが一致したからなんですが、まさか私自身がすぐに当事者になるとは、夢にも思わなくて。どうしてこんな大切な時期に、と後ろめたさを感じる部分は正直言ってありました」
妊娠初期は体調不良で休むことが多かったものの、安定期に入ってからは営業と新規事業双方をこなし、産休に入るギリギリまで出勤した田上。「妊婦でありながら、社会人生活の中で一番多忙を極めていた時期かもしれない」と振り返ります。
無事産休に入ったのは、保育園が開園するちょうど1週間前のタイミングでした。
田上「体調を気にしながらも、精一杯やり切ることができたのは間違いなく周囲のサポートのおかげ。急にお休みしてしまった時は、営業チームのメンバーが快く代理対応をしてくれましたし、保育園事業についても、常に先回りして進行してくれた堀には、もう感謝しかありませんでしたね」
出産後、田上ははじめての育児にすべてを注ぎます。心にぽっかりと穴があいてしまったことに気づいたのは、実家から自宅へ戻り、新生活をスタートさせた頃。夫が仕事に出かけている間は、子どもとほぼ二人きり。これまで経験したことのない静かな日常に、何とも言えない不安を覚えてしまったのです。
田上「その時は『保育園、順調に運営できているかな』『あの案件はその後どうなったんだろう』と仕事のことばかり思いめぐらせてしまって。でも、誰が不在であっても基本、会社は回っていくもの。そう考えたら急に寂しさがこみ上げてきたんですよね」
私の戻る場所はあるのだろうか――かなりナーバスになっていた時期、会社との距離を縮めてくれたのは、同期の堀でした。定期的に家へ訪れ、会社の様子を詳しく知らせてくれたのです。「メールやチャットだけでなく、しっかり顔を見せてくれたことが嬉しかった」。1年間の育休を取得したのち、田上は職場復帰を果たしました。
変化を受け入れ、周りを巻き込みながら、もっと会社を良くしていきたい
復職した2019年4月。田上は人事総務部に配属されました。それまで、管理や営業を経験してきた彼女にとって、バックオフィス業務を任されるのははじめてでした。
田上「ポストに空きが出たと同時に打診され、快諾しました。営業に戻っても、子どものことで客先に迷惑をかけてしまう可能性は大いにありましたし、そろそろ新しい仕事に挑戦したいという思いもあって。非常に前向きな異動でしたね」
人事総務と一言に言っても、採用・育成・評価・制度・労務管理・物品手配など、その内容は多岐にわたります。田上は、実務と並行しながら勉強に励みました。
田上「例えば社会保険ひとつ取っても、はじめて聞くことばかりで『こんなに知らなかったのか』と自分でも驚きました。でも逆に言うと、現場出身の私の気づきを社内にシェアすることで、他の社員にも何らかの気づきを与え、結果的に会社を活性化できるかも知れないと考えまして」
田上が4カ月ほど前に開催したのが「男性社員のための育休取得説明会」。社内で取得希望者が多かったことから、育休取得への不安を少しでも解消させるべく実施した取り組みです。
田上「例えば『どの時期に取得すれば、給与面でメリットが受けやすいか』などの情報を知っている人は一握り。できる限りのサポートをして男性社員たちの背中を押せたらいいなと」
“バックオフィス業務の透明化”も、田上が力を入れて取り組んでいることのひとつです。「いつの間にか採用が決まっていた」「人事制度が変わっていた」などと、現場社員が置いてけぼりにならぬよう、メールやチャットなどで積極的にシェアしています。
田上「業種が違う保育園事業についてもそうですが、知らないと興味が持てないし、仲間意識や自分事にもつながらないですよね。だから、状況を細やかに伝えながら、全員を巻き込んでいこうと。特に注力しているのが、採用です。私たちのような中小企業が人材を確保するためには、全社で一丸となって取り組まないと目標に到達できない。そんな気持ちで呼びかけています」
その他、会社説明会の様子を動画サイトにあげるなど、新しい取り組みに挑み続ける田上。その原動力は、他の社員への感謝だと言います。
田上「結婚や出産を経て『今、私が家庭も大切にしながら仕事にとりくめるのは、現場で動いている若手社員や、同僚の支えがあってこそ』という実感が持てるようになりました。こうした感謝を、人事制度の拡充などで示していけたらいいなと思っています」
入社10年目の新米人事、田上の挑戦はまだまだ続きます。