リーマンショックが起こった2008年、上場不動産会社の子会社として創業。直後に親会社が破綻するという波乱含みのスタートを切った株式会社エヌアセット。20人の社員が一丸となって混迷期を乗り越え、会社の基盤を築いてきました。あれから11年、その幕開けに立ち合った三浦寛貴と森奈保美が、今日までの道のりを振り返ります。
創業直後に突き付けられた親会社の破綻
2019年現在、三浦は人事総務部の責任者、森は不動産オーナーの窓口となり物件管理全般を担っています。そんなふたりは初め、エヌアセットの親会社である株式会社ノエルで、直属の上司と部下として出会いました。入社当初の森について、三浦は「とにかく頑固だった」と言います。
三浦「新卒社員として森が入社した2006年当時、私は賃貸仲介・不動産管理部門の営業職として、支店のチーム長を務めていました。
窓口での接客を担当していた森の仕事はすごく丁寧で、成約したお客様にお礼の手紙を送ったり、時に訪問したり。リピーターや紹介客が多かった一方で、効率化を求める同僚と方針が合わず、もめたこともありました。ただ、誰に何を言われてもずっと自分のやり方を突き通していたんですよね」
それに対して森自身も否定はしません。
森「確かに問題児だったと思います(笑)。もともとノエルは自分自身が“人に感謝される職業に就きたい”と思い、巡り合った会社でしたので。『目の前のお客様に対して、何がベストなのかを考え、実行する』ということを大切に、日々の業務に取り組んでいました」
しかし、彼女が入社3年目に入ったころ、事態は急変します。会社側の「開発事業のリスクを回避するため、フィービジネスを成長させたい」という考えから、賃貸仲介・不動産管理部門がそのまま子会社化されることになったのです。そして、その設立準備の担い手は、三浦に委ねられることに。
三浦「それまでずっと営業として働いていたので、経営企画や人事総務・経理の業務は当然ながら未経験でした。でも、やるしかなかった。目の前のタスクをひたすらこなす毎日でした。」
2008年9月、子会社である現エヌアセットが創業。そしてその翌月、親会社ノエルが破綻しました。残るか、去るか。ふたりは大きな岐路に立たされます。
腹を決めて選んだ道は、想像以上に険しく、そして少しだけ明るかった
新会社の設立準備から初動に必要な基盤づくりまで、すべてを任されていた三浦は「転職を考える余裕も周囲の様子をうかがう暇もなかった」と言います。一方の森はどちらの道に進むべきか、なかなか決断できずにいました。
森「店舗に勤務していたので、会社の危機的状況がそこまで伝わってこなかったんです。お客様も普通に来店していましたし。だから親会社の破綻の知らせを聞いたときは本当に驚きました。正直、その驚きや不安から最初は退職するつもりでいました。でも思いとどまったきっかけがあって…。
当時、今もエヌアセットに在籍している同期社員に『どうせ辞めるんでしょ?』と言われ、カチンときたんです(笑)。でもその一言で『私はこの会社の何が好きだったんだろう』と考え直す機会になり、『私はここで一緒に働く“人”が好き。だから会社に居続けよう』という答えを導き出すことができたんです」
約20人の社員で、上場会社の一部事業を引き継ぐ覚悟して臨んだものの、現実は想像を絶する険しい道となりました。
三浦がまず着手したのは、リースを解除されて全く利用できなくなった基幹システムでの作業を全て、エクセルを一時的に運用するための作業。
三浦 「賃料管理という業務上、膨大な入金、送金作業を以前はシステムを以前は専任者が数人で行っていましたが、それを人事や総務を兼任しながら手作業で行うという今考えると無謀な作業量でした。
もちろん他にも人はいたのですが、業務のやり方自体が定まっておらず、想定外の問題が頻発する中で都度業務ルールを作っていたので、結局は一人でやらないと更に混乱してしまうという状況でした。ともかく継続して取引頂いたお客様に迷惑がかからない様、お金の流れだけは止めないようにと必死でした」
森は、店舗の窓口に立ち、体を張った対応を迫られました。
破綻後1カ月間で最も多く寄せられたのは親会社に関する問い合わせや苦情。並行して、部屋を求めて来店したお客様の接客対応に追われました。
森「『こんな罵声を浴びせられるなんて』という日もありました。それはきっと、私だけでなくみんなもどこかで同じような想いをしていた。でも、なぜか社内に悲壮感はなかったですね。業務に閉塞感があったので、せめて明るく振舞おうという気持ちの表れだったのかもしれませんが、救われました」
そうして山場を乗り切った社員たち。その後も信頼回復と基盤構築に向け、ひた走りました。
創業11年。会社は基盤づくりから「働く環境づくり」のフェーズへ
創業から3年が経ったころ、解約した不動産オーナーから再び依頼を受けるようになるなど、エヌアセットを取り巻く状況に変化がみられるようになりました。
森「創業からしばらくの間、『なるべくアウトソースせずにできることはやる』のが全社のモットーで、部屋のクリーニングも含めてできる業務はすべて社員でやっていましたね。効率化を掲げていた親会社時代では考えられないことでした。
そうして時間をかけた分、社員一人ひとりの業務理解は深くなり、オーナーさんとコミュニケーションできる機会を増やすことができました。その一つひとつの積み重ねが、周りの再評価につながったのかもしれません」
組織にも大きな変革がありました。2011年から新卒社員を迎え入れることになったのです。その採用活動は、人事総務部の責任者となった三浦が担いました。
三浦「当初の採用説明会では“親会社破綻からスタートした会社だ”ということは正直に伝えつつ、無借金経営による安定性やフラットな組織であることをポイントにアピールしました。
始めて8年になりますが、今では社員の約半数が新卒社員になっています」
こうして時代が移り、世代も変わっていく中で、三浦が新たに課せられているのは「働く環境の整備」です。創業当時、社員のほとんどが独身でしたが、現在は既婚者も増え、創業から生まれた社員の子ども達は30人になりました。そうした中で、産休、育休を取得し、戻ってきた女性社員も4人います。森もそのうちのひとりです。
森「産休や育休の制度もそうですが、外部から逐一様子がわかる社内システムの存在にはすごく助けられました。これもすべて、制度やシステムを整備してくれた人事総務のおかげです。
復帰して1年、まだまだ仕事とプライベートのバランスについては模索中ですが、何かと相談しやすい体制があるのは、非常にありがたいですね。」
その言葉に対し「まだまだ手を入れる余地はある」という三浦。創業から11年が経った今、管理部門としてのフェーズは“会社としての基礎固め”から“社員の働く環境づくり”へと移りつつあります。
事業は広がっても、変わらない考え方。地域と社員に愛される企業を目指して
地元川崎でとれた野菜を販売する『野菜市』、シェアオフィス『nokutica』、企業主導型保育園『こころワクワク保育園』の運営など、ここ5年の間に、エヌアセットはさまざまな地域事業やイベントを多角的に展開してきました。この変化をふたりはどのように感じているのでしょうか。
森「事業領域は広がりましたが、根本的な考え方は親会社時代から何も変わっていないと思っています。あのころから、新しい取り組みを歓迎する風土だったんですよね。
エヌアセットになって一番変わったのは、地域との実質的な密着度。特に私が今、不動産オーナーと関わりを持つポジションだからなのかもしれませんが、以前に比べて溝の口の人と知り合う機会が圧倒的に増えました。街を歩いている間はひと時も気が抜けないくらい(笑)。知り合いが増えた分、街への愛着も高まったと感じています」
三浦「私も以前より地域を意識するようになりました。森とは違う、人事視点ではありますが。
たとえば、近郊エリアに住むことを推奨する制度を設けたり、採用もできるだけ近郊エリア出身の人に積極的にアプローチしたり。社員が“働く”だけでなく“住む”という観点からも街と関わりが持てるような、そんな施策を打っています」
そんなふたりが、今後エヌアセットでやっていきたいこととは。
三浦「社員が『こんなにいい会社からジョインして』と友人や知人をぐいぐい引っ張ってくるような流れをつくりたいです。紹介による採用は、やはり良い会社の証だと思うので。会社のことを一番冷静に見ているのは、そこで働いている社員です。そんな社員が周囲の人たちを引っ張っていきたいと心から思えるような環境づくりに、私は引き続き邁進していきたいです」
森「会社のファンを地域にもっと増やしたいです。それにはまず、会社の顔である自分を好きになってもらわないと始まりません。ですから、人に感謝されるような仕事をひとつでも多くつくっていきたい」
創業以来、ずっとエヌアセットの屋台骨を支えてきたふたり。会社、そして溝の口のために、これからも力を尽くしていくことでしょう。