2020年7月20日 採用担当

自らが思い描くコンサルティング事業を実現させたい──2010年、当社初のグループ会社・エヌアセットBerryを立ち上げた芳村 崇志。同社代表のほか、エヌアセット取締役、IREM JAPAN理事と、社内外でのさまざまな要職に就き、活動の幅を広げてきました。足取りを振り返りながら、彼の原動力に迫ります。

順風満帆だった20代。リーマンショックでその潮目ががらりと変わった

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株式会社エヌアセットBerry 代表取締役 芳村 崇志

エヌアセット・エヌアセットBerry2社で主に経営・マネジメント業務に力を注ぎ、屋台骨を支えている芳村。彼の社会人としての基盤は、新卒入社した不動産ベンチャー企業時代に築かれました。

芳村 「大手・中堅3社の内定をすべて断って、入社したのがエヌアセットの前身企業。『事業エリアが、小学生のころからずっと住み続けている東急田園都市線沿線。一体どんな風にビジネスを展開しているんだろう』と興味が湧き、説明会に足を運んだのが、事のはじまりでした」

2003年の入社後、賃貸物件のオーナー営業担当者として賃貸管理や資産活用の提案業務を担当し、年を重ねるごとに頭角を表していきます。

2006年には、顧客の資産形成をサポートする資産コンサルティング事業の立ち上げに参画。それまでのオーナー業務で培った知識が生かされ、コンサルタントとして好調なスタートを切りました。また、同時期に不動産の証券化事業や開発事業を行う大手企業への出向も経験します。

芳村 「2008年は、リーマンショックに見舞われた年。在籍していた不動産会社も次第に傾き始め、出向して1年で戻ることになりましたが、この間にとても良い経験ができました。

ひとつの部署に何百人もいる大手と、数十人のベンチャーでは、コミュニケーションの方法も、与えられる役割も、成果を出すプロセスも、まったく違います。経営者になる前にその違いを知ることができたのは、視座を上げる上で役に立ちました」

勤務先だった不動産会社の、不動産管理部門を引き継ぐ子会社として立ち上げられたのが現在のエヌアセットです。芳村は創業メンバーとなり、親会社が破綻した後の、事業の立て直しに奔走しました。

そして、当時から芳村が密かに代表の宮川 恒雄に伝えていたことが。それは、「個人の資産コンサルティングをサポートする会社を起業したい」という想いです。

父の死ではじめて感じた「お金の大切さ」。新卒時の職業選びは慎重になった

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サッカーをこよなく愛し、充実した⾼校⽣活を送っていた芳村(中央)

サラリーマン家庭に生まれ育ち、不自由のない暮らしを送ってきた芳村。しかし、18歳のときに、大黒柱である父が病に倒れ、状況は一変します。

父の医療費、自分が通う私立大学の学費、家族の生活費──「お金」について考えざるを得なくなった瞬間から、彼の中で「遊んでばかりいられない」という気持ちが日増しに大きくなっていきました。

2年の闘病生活を経て父が他界したとき、芳村は学業以外の活動に一旦区切りをつけると決めます。

芳村 「具体的には、小学生のころから続けていたサッカーを辞め、コンビニの夜勤や引越しなどのアルバイトに精を出すようになりました。とにかく、お金を稼ぎたかった。

結局、大学までは無事に卒業させてもらえましたが『自分でお金を稼がないといけない』という意識は強く残りましたね。また、バイト先では多くの方にお世話になり、尊敬できる人との出会いもありました。父との死別の経験は、間違いなく自分の仕事に対する考え方に影響を及ぼしたと思います」

その後迎えた就職活動シーズン。芳村は、数々のアルバイトを経て「お客様から、知識や経験、対応力を必要とされるような、日々変化のある仕事」が自身に向いていると自己分析。それに当てはまるのは、コンサルティング業ではないかと考えました。

芳村 「かつ、衣食住に関係する仕事がいいなと思っていて。大学では法学部で行政や事業など、街づくりに関わる学問を学んでいたので、最終的に“住”に該当する不動産会社に入社したのは、今思うと自然な流れだったのかもしれません」

新卒入社した不動産ベンチャー企業では、数多くの不動産オーナーと近しい間柄になることができました。しかし、何年経っても、個人の資産形成を全面でサポートできるような仕事はできなかったと振り返ります。

芳村 「資産コンサルティングと名の付く部署に在籍していましたが、実際は、不動産の買い取り、転売をする事業がメインだったので、自分の能力や経験不足も原因ではありますが、思い描くコンサルティングとは程遠かったですね。ですから、いつか自分の手で、資産形成を多角的にサポートできる事業を立ち上げたいという想いは常に持っていました」

個々人のレベルアップが、結果として企業ブランドの向上につながった

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IREMが優秀だと認める不動産管理会社に与える称号・AMO®。⽇本での認定が開始された2018年、エヌアセットは3社のうちの1社として授与されました

2010年、エヌアセットグループ初の社内独立会社として創業されたエヌアセットBerry。芳村は、かつての同僚・越 匠平に声を掛け、二人三脚の体制でスタートアップに臨みました。

信頼のおけるビジネスパートナーを得て、不動産投資のコンサルティング事業に邁進する──しかし、そこには絶対的に不足しているものがありました。それは、会社自体の信用度。

芳村 「会社員時代の勤務先は、最終的に上場も果たしており、社会的な信用度をもって業務にあたることができました。しかし、スタートアップ企業にはそのようなブランド力が一切ありません。お客様の資産運用をお手伝いする私たちの事業は、とにかく信用が第一。どうしたら獲得できるのか、試行錯誤の状態がしばらく続きました」

まずはコンサルタント一人ひとりの力を高めていくのが先決かもしれない──芳村は、以前より注目していた、CPM®(公認不動産経営管理士)とCCIM®(商業用投資顧問協会)の資格取得に乗り出します。

CPM®はプロパティマネジメント従事者のための認定資格。IREM(全米不動産管理協会)が運営する教育カリキュラムを受講し、最終試験に合格すると、ホルダーとしての資格が与えられます。また、CCIM®はCCIM Institute(全米認定不動産投資顧問協会)認定の、米国最高峰の教育プログラム。どちらも不動産経営や投資に関して、正しい意志決定をするための 詳細な分析手法を学びます。その体系化された教育プログラムは、世界中の企業から高く評価されています。

芳村 「日本の不動産管理業界は、俗にいうサービス管理の商慣習が残っており、管理会社の実力や担当者の能力が顧客から評価されにくい業界です。加えて、労働集約型の業務が非常に多い。生産性を出すために、顧客との情報の非対称性を利用した“倫理的とは言えない”ビジネスの仕方を変えたいと思っていました。

アメリカ発祥のCPM®/CCIM®を取得したことで、不動産経営に関する業務を市場分析・メンテナンス・金融戦略・人材管理・倫理等のあらゆる側面から深掘り・整理ができるようになっただけではなく、同時に投資全体の最適解を鳥瞰する感覚が身に付いたと思います」

この資格を、芳村は2011年~2013年に取得。現在ではIREM JAPANの理事として、CPM®/CCIM®の日本国内への認知度向上や会員数拡大を目的とした活動のほか、公式セミナー内のファイナンス講座の講師を担当するなど、ビジネス以外の領域にも携わっています。

加えて、不動産コンサルとは切っても切れないのが、相続や事業承継の問題です。

同社は、2015年に全国相続サポートセンターに加盟し、「かわさき相続サポートセンターエヌアセット」を開設。無料相談会やセミナーを定期的に開催しながら、業務領域を広げていきました。

コンサルタントとして、経営者として。自分も会社も磨き続ける

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年始め、社員全員でお伊勢参りをするのが、エヌアセットBerryの恒例⾏事です

2020年7月現在、エヌアセットBerryに在籍するコンサルタントは4名に。顧客の目的に応じた柔軟な投資コンサルティングを実現すべく、金融商品や生命保険など不動産以外の商品も取り扱うようになりました。

芳村 「大手地方銀行や不動産投資顧問会社出身のメンバーが加わって、できることが増え、多角的な視点も備わったように感じています。不動産収入の再投資先として、金融商品や保険商品も紹介できるようになり、評価いただいています。

また、このコロナ禍においては、デジタルツールを活用したサポート環境(オンライン投資相談室)も整備でき、全国のお客様からの相談にも対応できるようになりました。

マネジメントを行う立場となり、やりたかった「コンサルタント」の仕事からはむしろ離れてしまいましたが、メンバーが常に高い意識で顧客に対するサポートに取り組んでいるので、今は裏方に徹してメンバーが働きやすい環境をつくることに専念しています。以前はすべての案件を把握していないと気が済まないタイプでしたが『経営者になると、こんなにも変わるものなのか』と自分でも驚いています」

俯瞰して全体を見る立場となった今、芳村は『コンサルタントに必要不可欠なこと』をこう話します。

芳村 「正しい知識や経験をインプットして、それを惜しみなくお客様にアウトプットする。私自身は、これを継続することが、最低限の礼儀であり、身につけるべきマナーだと感じています。

加えて、これはコンサルタントに限らずですが、AIやRPAなどのテクノロジーが台頭していくであろう未来を見据えて『ひとの機微に触れられるような感性を磨く』、『パッケージではない個々の顧客の状況に応じた提案のデザイン力を高める』など、人間にしかできないことに注力していく必要性があると考えています」

芳村はさらに、経営者としての想いを語りました。

芳村 「『従業員の生活を守り抜くこと』が会社の経営を任せられた私の責務だと感じています。かつて勤めていた会社が破綻に追い込まれたこともあり、エヌアセットグループをもっと盤石な体制としたいという想いは常にあります。

その一方で、社員には新しい事業やサービス、会社をどんどん立ち上げてもらいたいですね。時にはリスクを取ってでも、挑戦できる土壌、支援できる体制を整えていきたいです」

課せられた役目に対して、力を注ぐ芳村。エヌアセットBerryという社名に込められた「お客様の果実(資産)が実るように全力を尽くす」という想いが、その原動力となっているのは間違いありません。